
1986年米ソ首脳会談の舞台。アイスランドの首都レイキャビク。
下記は、前エントリにつづき、『正論2月臨時増刊号 金正日の死と日本の針路』に載った拙稿「核と瀬戸際外交」の後半部分である。
■ブッシュ政権の転落
2007年2月13日、米朝ベルリン合意に基づいた六者「共同文書」が成り、北は重油支援などの見返りに、核関連施設の停止に同意する。さらに同年10月3日の六者合意において、北は「すべての核計画の完全かつ正確な申告」を約束した。
しかし、結局、ウラン濃縮の事実などに触れない不完全な申告書が北から米側に内示される。ライスは、国家安全保障会議の場で、プルトニウムに絞った今回の検証合意はあくまで「第一歩」であり、北はヒルに対して非公式にウラン濃縮も認めているから、その部分は後々対処できると説明しつつ、同申告の受け入れを主張したという。チェイニーはこう記している。
軍備管理へのこんなアプローチは、かつて見たことがない。われわれは虚偽の申告を受け入れるのみならず、相手方が申告の虚偽性をクリス・ヒルの耳に囁いたから安心してよいというのである。国務長官は、繰り返し大統領に、大丈夫、すべてうまくいっていると請け合った。しかし、明らかにそうではなかった。(Cheney, p.477)
このチェイニーの論難に対し、では他にどんな選択肢があるのかというのがライスの反論である。
北朝鮮への対処に当たっては、限られた選択肢しかないという制約がある。副大統領との議論で、私はしばしばその点を指摘し、ではどういう対案を提示するのかと尋ねた。彼は一度も、実行可能な案を示せなかった。
北に対する軍事行動はよい選択肢ではない。意図せぬ重大な結果が予想され、ソウルに多大の被害が生じるのはほぼ確実だった。……
第二のオプションは、制裁のみというアプローチを取り、北が崩壊するか政策を変えるまで体制を締め上げ続けることだったろう。第一の結果(崩壊)は起こりそうになかった。アメリカと国際社会からの孤立にも拘わらず、金王朝は半世紀以上生き延びていた。……(Rice, p.712)
なお、事態を打開するため、ライスは自身の訪朝も考えている。チェイニーはその点も批判する。
これは、北朝鮮の約束違反に対し、新たな先制譲歩で応えようとする試みだ。北朝鮮は、いまだに核活動に関する完全な申告を行っていない、なのに突然、わが方から国務長官をピョンヤンに派遣するというのか?それは悪い考えだった。はるかによい選択肢は、彼らが約束を守るよう主張し続けるということだったろう。
(Cheney, p.485)
最終的に、ブッシュはライスの進言を容れ、2008年10月11日、国務省は、ウラン濃縮等を不問にした米朝「核検証」合意を発表、同時に米政府は、北の「テロ支援国指定」解除も発表した。
ラムズフェルド(国防長官)、ボルトンはじめ多くのハードライナーがすでに政権を去った中で、チェイニーは孤立を深めていた。
国務省の誤った方針に反論せねばならない会議また会議の連続において、同じ闘いを何度も闘うことに、われわれの多くが疲れてきていたように思う。(Cheney, p.485)
決定的だったのは、ブッシュの意志と判断力に陰りが生じ、寵愛するライスを担いだ国務省の攻勢に抗し切れなかったことだ。チェイニーは書いている。
私は失望した。単に大統領に同意できなかったというのみではない。それは彼の権限だ。しかし、(不完全な核申告とテロ指定解除の容認に至る)までの経緯は、彼が過去に決定を下す際に見られた明晰なやり方からあまりに懸け離れていた。(Cheney, p.486)
チェイニーが、全体主義勢力を相手にする際の鑑(かがみ)と称揚するのは、かつてソ連と対峙した際のレーガン大統領の姿勢である。
将来の指導者にとってよいモデルは、ゴルバチョフとの1986年レイキャビック首脳会談におけるロナルド・レーガンのアプローチだ。彼は、得られるものなら何でも得たいと焦るようなことはなかった。ミサイル防衛に関するアメリカの権利で譲歩せず、ソ連側がその点を認めようとしなかった時点で、会談を打ち切った(Cheney, p.491)。
当時、ミサイル防衛システムの開発競争になれば、技術的にも財政的にも対抗できないと見たソ連は、欧州に先行配備した中距離核ミサイルを撤去する条件として、米側がミサイル防衛開発を止める(実験室レベルに留める)ことを強く求めた。米側交渉団内部でも、実現性に疑問のあるミサイル防衛システムを取引材料とし、この場で交渉をまとめるべきとの意見が支配的だったが、レーガンはあくまで開発継続という線を譲らなかった。

その結果、一旦交渉は決裂したが、再開後、ソ連がさらに譲歩した形で中距離核兵力全廃条約が締結され、さらにはソ連崩壊という事態にまで至った。
ブッシュ政権の対北政策も、当初の原則重視の路線を頑なに守るべきだったろう。ライスは、「金正日は狂っているが自殺的ではない、と私は常に見ていた」と述べている(Rice, p.163)。であれば、相手の瀬戸際政策に惑わされることもなく、効果を上げていた金融制裁を、焦って解除する必要もなかったはずだ。
金融を中心とする制裁を維持・強化しつつ、「彼らが約束を守るよう主張し続ける」(上記チェイニー発言)という正道を往き切れなかったことが、ブッシュ政権が残した最大の負の教訓である。








